私とメンヘラとストーカー

話は大学入学〜社会人一年目の途中までの四年ほど。
タイトル通り、私とメンヘラとストーカーの三つの楽し(くはない)お話である。基本はメンヘラメインだ。
そこそこ昔なので時系列、細かい部分は異なる場合があるが(一部捏造、一部忘れた)基本的な出来事に関しては概ね事実だ。




大学入学。どこかの情報系学科。近かったのと偏差値的にちょうどよかったので受験したら受かった。

大学に入学してから半年ほどたち、とりあえず受かったバイトを始めた。基本は夕方からのシフトで、日曜だけ昼から。好きな業種なので最低時給だができる限り続けたいと思った。
バイトリーダーのような立ち位置にいた男が挨拶をする。こんにちは、そんな彼は後のメンヘラ男である。

メンヘラ男ことM男、彼は仕事ができる男だった。要領もよく人当たりも良い、担当している商品の売上もきちんとあげる、人の内面的な部分もよく見ており上手く導くことのできる、気付いたら隙間に入り込んで何でも相談したくなる理想の上司。まさしく彼はそんな人だった。

バイトでの知識はほぼ全て彼から教わった。社会人となった今、より痛感するが、当時の私は本当に無知な人間で、社会人スキルの基本を教えてくれたのは憎らしくも彼だ。その点については感謝している。

彼はよく食事に誘ってくれ、知識も浅く広く知っていて話もうまい、まるで妹のように可愛がってもらった。その途中で恋愛の話にはなったが、彼はよくこう言っていた。「自分から好きにならないと付き合いはしない。君のことはそういう意味では好きじゃないし、妹のように思っている」

私はこの言葉を信じ……たかった。残念ながらフラグは回収されるべきものだ。

ときを経て大学二年。たぶん秋頃。
忘れもしない、漫喫でミスト?だったっけ、の映画を見たあと帰るときに突然告白された。「好意を抱いていると思う」


あ、はい、ドウモ。


あーー終わったなー。そう思った。
高校の頃そこそここの面で痛い目にあった、というよりその修羅場を隣で見てきた私は部活、学校、バイト、そういったコミュニティの中にいる人と付き合わないことを決めていた。

まぁさらに言ってしまうと、ぶっちゃけ顔面内面含めてタイプじゃなかった。


とりあえず、気持ちはありがとうございますと言った。内心全くありがとうございますじゃなかった。は????とキレ気味だった。
その後M男は「まだ完全に自覚したわけじゃないから返事はいい。そのときにまた言うわ」と笑って告げた。

いや、別に後でも先でも返事は決まってるから早く言わせてよ。

序章おわり。
そこからM男の猛攻は始まる。

しばらくしてからM男は自覚したらしく、好きですと再度告げてきた。
場所は忘れた、たぶんバイト先の帰りかそのあたり(途中まで方向が一緒だった)。
丁重にお断りした。そういう目では見れないですと。
彼は私の回答をわかっていたのだろう、うん、わかった。ありがとう。と答えた。


ただそこから露骨な贔屓が始まる。いや、もう多分前から始まってたと思う。エコ贔屓ならどれだけよかったか。俗にいうお前だけアピールだ。オマエダケオマエダケとキノコのような呪文をいいながら、何故か他の人より過大にサービスしてくれるよくわからない術である。


ここから一年ほどに関してはあまり詳しく記憶していないのだが、ひとまず確実にあったことを軽く記載していく。

春の部活の机だしで後半ストーカーになる男と会う(同級生、偶々きた。顔見知りになる)

M男はそこから持病を発病し、それとともにメンタルを大きく崩し始めた(持病自体はストレス面を除きあまりメンタルとの関係はなかったがあの辺から鬱だったことは確実だ)。これが果てしなく尾を引くことになる。

そうして、私が一度断ったことを忘れたかのように会うたびにほぼ毎回好き好き攻撃が加わった。銀○のさっちゃんほどの物理的なアタックはなかったが、一休さん並の歌唱力はあった。うざいの一言だった。ありがとうございますーと棒読みで流していた記憶はある。

重苦しい過去を告白された。前職での失敗。それによるメンタル崩壊、閉じこもり、家族との確執、職場でのストレス。おおおお????これはもしや地雷案件ではなかろうか?気づいたときには手遅れとはまさにこのことだろう。なんてこったパンナコッタ。M男のメンタルは最初から絹豆腐だったというわけだ。

ちなみに私とM男は干支一周くらいの年の差だ。自称おっさんが大学生に重苦しい過去を語る、半泣きで。同情と理解を求める、男泣きで。はっきり言って地獄絵図だ。
ただし、仕事の面では相変わらずできる人で、私以外にはこの重苦しい過去を知る者はおらず(本人が言わなかったので)、周囲の好感度は高いままだった。

しばらくすると、持病のしんどさとメンタル回復を理由に、バックスペースで二人きりになった途端抱きついてくるようになった。普通にキモかったが、拒否したあとの面倒事を考えたらされるがままの方がマシだと思った。とりあえず自分さえ我慢すればことは丸く収まるのだから。
面倒事というのは、無視したり私が気に入らない反応をすると途端に態度が冷たくなり話しかけなくなる。私の方から話しても非常に素っ気ない対応を行い、ミスなどが発生するとあたりが強くなる。最終的に人間性を否定される発言を半ギレ状態で連発される。想像しただけでも面倒だ。
特に終わりが二人のときか、持病の発熱が酷いときはほぼ確定入のためほんっっとに地獄だった。抱きつかれたときに虚空を見据える技を会得した。

その頃から私はひどく面倒になっていた。M男からあるメンヘラ常套句が出てくるようになったからだ。

「もう生きている価値がない」
「死ぬ」

この頃から縁を切る社会人一年目まで、多い日に三回以上は聞くことになる。

大学三年の後半あたりからM男は加速的にメンヘラ化した。今までの比じゃなかった。上の言葉はほぼ会う度に言われていたし、もう救いの神のような扱いだった。彼にとっての私は生きる希望らしい。私がいるからメンタルがドン底に落ちないし、私がいるから生きていけると言われた。教祖かな?とドンびいた。人は適当に生きているだけで他人の生き甲斐になってしまうらしい。

こんなに嫌がってるのに何故バイトをやめない?となるだろう。いや、何回もやめるか検討したし、てかM男の鬱期がきたときは毎回のように辞めたら?って本人に言われてたし(というかお前なんていらん的なこと普通に言われてた)、自棄になって店長にM男挟まずに言ったこともある。個人的には業務自体は好きだったし、M男以外に特にイザコザもなかったし、あと一年くらいしかバイトは続けられないのに他のところ探すのもなぁー。となっており渋っていた部分はある。が、彼は最終的には何故か辞めないでだの、説得方向に入り始める。
本当にいいのか??……そんなこと言われても別にプラフじゃないんたけど。


大学四年、就活がはじまる。就活の時期になるとバイトを辞める人が多いが、私は人手不足も相成ってバイトを続けていた。最終的に就活生で週五入っているある種の最強人物となっていた。


当時はメンヘラなる者と深く関わったことがない分、順々にレベルアップしていくM男をみて、うげぇとげっそりしながら「はいはい、そんなこと言わず生きてくださいねー」とあくまで深くは踏み込まないよう励ましていた。個人的には超適当な対応だったが、今思えばもっと適当にあしらえばよかったと思ってる。悩みもできるだけ真摯に聞いていた。どこまで本当かは分からないにしろ、私が嫌ったから人が死ぬというのはひどく不快だ。それに好かれたくはないがだからといって嫌われるのは仕事に影響すると思ったからだ。


ただ相変わらず仕事はできるM男は、実質その店の店長みたいな人物になっていた。人間性はクソみたいなやつなんだけど。

一方で秋頃になるとストーカーが週一くらいで店にくるようになった。最初はストーカーというよりただの顔見知りで、あ、どうもー。と軽く挨拶だけしていたが、あるときいきなり頭を撫でられた。そのあとすごく気味の悪い笑みを浮かべた。あ、これヤバいやつだとなんとなく感じた。このどうもーみたいな何気ないやりとりがストーカーからしたら大喜びだったらしい。マジでふざけんな。

そんなこんだでストーカーが頭を見せはじめた頃、私の心を掴めないM男は痺れを切らしたらしい。ついに行動を起こし始める。
といっても言われたのはお誘いだ。性行為の。人生で一番理解できなかった。因みに次に理解できなかったのは高校の時後輩からオカズきかれたときと、電話エッチの提案を会って一週間のゼミ友(仮)からされたときだ。後半は爆笑して即刻友達に拡散した。本編に関係ないので省いておく。
その時もバイトの帰りだった。「は?」理解をすっ飛んだので何いってんだコイツみたいなニュアンスで返答した。

M男いわく、それは建設的なセックスらしい。心が通じ合わなくても身体を交えばそこから生まれる情(彼的に私に好きが芽生えるかもしれない)もあるかもしれないと。
いや、ねーよ。もしかしたらあるかもしんないけど私に限るならありえねーよ。てかセ○レの間違いでは?顔面も内面もないのに何を言うとるが。
それに建設的って?そんな風に使われる言葉なの?建設的ってどんな意味だっけ。あまりのパワーワードに私は疑問符しかなかった。

即断った。私は人を愛せません、もちろん貴方も、と答えた。てかなんで付き合ってもないし好きでもないのにしないといけないんですかときくと、M男はストーカー男と死ぬ死ぬ詐欺を持ち出した。親に言うと。

私にとって親とは最終をも超えた手段だった。極力言いたくなかった。一度、母に私の考えていることがよくわからないと言われたことがある。中学の時、激しい言い合いをして、死のっか、と提案をされたこともある。そんな親に対してこんな面倒なことを言う勇気なんてなかった。自分さえ我慢すればモードが発動した。

親に言う羽目になるくらいならと私は承諾した。ひどく驚かれた。そこに歓喜の表情が見えたものだから、こいつどうしようもないなと呆れた。なら出すなよ、お前私のことよく知ってんだろ(自称)。

その日はクリスマスの朝だった。バイト先に行ったら死ぬほど忙しい日だ。前日は虚無感と何でこうなったのか理解したくなくて、夜は泣いた。
結論から言うと、いれられたけど途中でやめた。普通にお初でいたいの一言。でもその前にされた接吻の方が割と絶望的だった。なんだろう、今更乙女思考でも持っていたのかもしれない。気持ち悪くて吐きそうになった。その後は確かラーメン食ってわかれた。あとでマグロだったと文句を言われたが、お前マグロでいいっつったろ。M男はやっぱ無理だと再認識した。

そのときから私にとってM男は、どうでもいい人になった。


あ、死ぬんだ。ふーん。思うことはそれだけ。
そんな感じでM男に遠慮がなくなった。彼が死なないことを前提とするわけでなく、いかに爪痕を残さずに縁を切れるかを考えるようになった。だってよくよく考えたら別に死のうが私関係ないじゃん。最終的な意思は全て本人が決めることなんだから。わずかに残っていた情も綺麗さっぱり擦り切れた。

と、M男への情に片が付いた頃になんとびっくり。ストーカーが悪化し始めた。一つは私がLINEをブロックしたから。それに現在一月、そうなるとあと少しで卒業だ。ストーカーは焦り始めたらしい。週一だった来店が三日に一回になった。私の出勤日をきいてきたこともあったらしい。うろうろ、そわそわ。どこか探すような視線で店をうろつく様はどう見てもストーカーだった。

さらにおったまげなことがあった。なんと、ストーカーは後をつけ始めた。私は結局見ることはなかったが、帰り方向が一緒なM男が目敏く見つけたらしい。なんでそんな機敏に気付けるんだ。
お前もストーカーか。知ってる。

そしてもう驚くのは最後にしたいと思ったが、ストーカーと立ち会ったM男は勝手に俺の彼女だと宣言し、ストーカーの怒りを買っていた。事後報告だった。頼むから冗談はよしこちゃんにしてもらいたかった。
そこから進撃のストーカーは週に一回以上は帰り道に後をつけるようになった。その際にM男が守ると豪語していたけど、どうでもいい人間判定していたため最早無機物の盾でしかなかった。

卒業式のことは忘れられない。ストーカーとは会わなかったが、日付を超す直前M男から唐突にLINEがきた。『お前の家から100mくらい離れたところでストーカーをみた、話をしてきた』

??????????
は????

①帰りをはっていたらしい。
②帰りをはるストーカーをはっていたらしい。

率直な感想を言おう。どこかの警官か?Gメンか?はたまた探偵か?いや、お前もストーカーだったわ。
二人にドン引きした。何やってんの、何話してんの、何事後報告してんの。もう何がやりたいのか、何を言いたいのか意味がわからなかった。というよりは理解したくなかった。
それでも、親に言う気にはまったくならなかった。

その後も少しだけバイトを続けた。金はほしいし。その近辺で私のメンタルが荒れ狂ったときがある。後輩ちゃんの存在とパートさんの存在だ。
二人はM男が好きだった。もちろんラブ的な意味で好きだった。パートさんの真偽は定かではないが(M男から聞いた。M男も他のパートさんから聞いたらしい)かなり仲が良くM男に頼っている姿も何度も目撃していたので納得した。
それにM男と話したあと、少しだけパートさんがそっけなかったのを知っていた。信じる価値はあった。

後輩は真面目で気弱そうで控えめな子だった。いい子だ、だが直訳してみよう、メンタルが弱そうな子だった。そしてお人好しだった。
M男が荒れていたとき、同時に後輩も荒れていた。M男から聞いたが直前に彼に告白したらしい。そしてM男は振ったと言っていた。後輩は察していたのだ。M男は私のことが好きだと。賢い。だができるならその賢さをもう少しメンタル面に回してほしかった。

後輩にLINEかなんかで言われたことが大部きつかった。いつだったかは覚えてないけれどたぶん三月以降だ。だからこの部分に書いている。
『M男を助けられるのは貴方しかいないんですよ!!』

感動的だなぁ。正義のヒーロー気取りかな。
そのM男に進行形でメンタル殺されてんだけど、この子はたぶん知らないんだろうな。そうやって、やるせない怒りと同時に後輩をひどく憐れんだ。仕方ない、後輩はM男の味方になりたいのだから。M男が一番ならそうしたいのはわからなくはない。自分本位でも、知る限りの事情を組みして彼女なりの正論をぶつけただけだ。ただ彼女はその裏なんて何も知らなかったんだろうけど。バーカ。


そうして、そこそこ歓迎されて私は店を退職したと思う。
二人からしたらたぶん邪魔な人が消えて嬉しいだろうし。


私が店に来ないんだ。それならストーカーも必然的に店に来なくなる。そう思った。それに彼だって順当にいけば社会人一年目。そんな余裕などないだろうと考えた。

すると、四月前半?三月後半?あたり、にM男からLINEがきた。
『ストーカーと決着をつけた』
??????
ストーカーを見かけたので自ら話をつけに行ったらしい。
馬鹿かな?と思った。また事後報告。おまけに金でケリをつけたらしい。金やるから手を引けと〆て10万。
か っ て に や っ た。

乾いた笑いしか出なかった。金の切れ目が縁の切れ目、それがまさに体現されたわけだ。
なんだかんだ現在まで会ってない。これだけは感謝している。ということで晴れてストーカーから解放されたわけだが問題はまだある。





卒業後、私は割と精神的にストレスMAXのなか、鋼メンタルで研修と仕事を行っていた。時系列が怪しいが一応書いていく。

同じ地区ではあるが引っ越しをした。前の家からは歩いて15分ほどのところ。

縁を切りたいと話をし、隣でグズグズ泣き、死ぬ死ぬ詐欺を行う男をシラけた目で見て、時期尚早かと諦めた私は友人としてならと関係を承諾した。その時引越し先がバレた。確か公園で長ったらしい話をしたそのあと。送ってなんて言っていない、私はここで大丈夫だからと何度も言った。しかし聞く耳を持たないM男(三十路はとうに突破)、たぶん彼にとってはストーカーの件もあり心配していた(2割)と紳士アピール(8割)だったと思う。正直これは痛すぎるやらかしだった。


仕事とM男でメンタルピークを迎えた私は提案をした。
『貴方と会うこと、連絡を取ることが苦痛すぎてしんどいから距離を取りたい』

嘘偽りない事実だった。
M男は持病によるメンタル悪化と私がバイトをやめたことにより心の拠り所がなくなったらしく完全に鬱だった。その相手をするのにも限度がある。
『わかった』
そう返事をもらいやり取りを終えた。

それを好機と私は彼を即刻ミュートにし、今後一切会わないでおこうと心に決めた。
一ヶ月ほどは平和だった。だがまさかの自然災害が再度引き合わせることとなった。

その当日にSMSがきた。あ、終わったと漠然と感じた。
LINEの反応がなかったからSMSを送ってきたらしい。送ってこんでいい。反応したら始まってしまうと思い無視した。徹底的に無視した。
今でも忘れられない出来事だ。仕事帰り、帰路を歩き角を曲が……家の前の電柱にもたれる形で人がいた。M男だった。
思わずヒッと声が出てすぐに視界から消す。幻かと何度も様子をうかがったがやっぱりいた。十分以上は待ったが帰る気配はなく、完全にストーカーじゃんと思わざる得なかった。何とかかわして家に入りたいところだが残念ながら入り口は電柱の目と鼻の先にある扉しかなく、不可能だった。

察した私は諦めた。足を踏み出し、そのまま普通に家へ向かうと気付いたM男が「よっ」と気さくに声をかけてきた。お前今何してんのかわかってんの?と問い詰めてやろうかと思った。「どうも」とだけ答えた。

近くの公園でながーーーい話し合いが始まった。
彼は心配したのだという。その身を案ずるSMSに答えないとはどういうことだと言われた。心配することすらもだめかと言われた。
無視した。その上で答えがわかりきっていることをたずねた。「なんであそこにいたんですか」と。当たり前だろと言わんばかりに「連絡が来なかったから」とだけ言われた。なーんだ、どっちにしろゲームオーバーだったのか。

M男はひどく怒っていた。やっていけないと言われた。心配することすら駄目なのか、そんな人間と今後一緒にいたくはないと言われた。
きたーーーー!そう思った。嬉しすぎて顔がニヤけそうになった。こっちが言ってもだめなら向こうから言われるのを待つしかない。やっと後腐れ無くわかれることができる。もうこいつなんてどうでもよかった。ストーカーの件をいかに親にバレないか、それだけだった、



「最後に親にストーカーのこと言うから」


はずだった。
胃が痛くなる。正直呪いのような単語だった。

「そんでさっさと死んでやるから、いいよね、お前は俺と縁が切れてストーカーからも解放されて、何も痛くないもんね!!どうせこんなこともすぐに忘れて生きていくんだろ!!」

これ、割と何回も言われていた。

こんなにメンタル削っといて??痛くない???11も上のおっさんに何度も何度も何度も拒否しているのに好意もたれて、押し付けられて、建設的なセックスとかほざかれて、友達でいいってあれだけ公言しておきながら結局好意を出してきて、よくそれを言えたもんだな。私という人間をあれだけ理解してるとか言っておきながらよく言えたな。それでいいって言ったのは他ならぬアンタだろ。

キレた。

キレると逆上して暴れまわる人間がいるようだが、私は真逆だった。拳は震えていたが、頭はひどく冷静だった。

「わかりました」
「は」
「わかりましたって言ったんですよ、話しましょ?私の親に。今日でいいですかね、時間あります?」
「時間は大丈夫だけど」
「わかりました。電話するんで待ってください」

持ってた携帯で親へ電話した。話したいことがある、帰って時間をもらいたいと。今まで私がこんな発言をしたことはない。こんな行動に出たことはない。察したかはわからないが、分かったとだけ返ってきた。

電話を終え、帰るまで待ちましょうか。と呼びかけてキレていた私は家へ入れた。当時、暑いか寒いか忘れたが、少し外にいるには嫌な気候だったので、外で待つのが嫌になった私は家に入れたのだった。変に常識的なこの男が、無駄に愛だけは本物のこの男が絶対に粗相をするはずがないと思っていたのもある。冷静といったが割と頭はいつもどおりの馬鹿さだった。

親にはなんで言ってくれなかったとは言われなかった。ほんとうですかと受け止めるように話を聞いていた。罪悪感はあったが、まぁなるようになるよなと考えた。
そして話の後半、私は話から出されたため内容を聞いていなかったが、お金のことなどは話さなかったらしい。誠実に話すM男に対して父はこう言ったらしい。

「あの子は割と放っておいても自分で何とかする子で、おまけに何も言わないので、あまり構いきれてなかった部分もあるかと思います」

うろ覚えだがこんな感じ。
ふーん。私そう思われてたのか。

なんかバレたからどうでもよくなった。仕事も目の前のストーカーも、親も。
なし崩しにわかれ、そこからもう少しだけ友達を続けた。友達を続けつつ徐々に連絡を減らして、一年くらいかけて縁切りに持っていければいいと思っていた。
だが下の名前で呼ばせようとしてきたり料理を作ってこいと言われたり。呼ばないと、作らないと拗ねて死ぬと言われる。これが……友達?んな馬鹿な。生理的に無理だと悟った。

何回やったかわからないやり取りだった。
また拗ねた。私が遊ぼうと誘わないのが不満だそうだ。私からLINEをしないのが不満だそうだ。M男としては月に一回は遊びたいらしい。毎日とは言わないが頻繁にLINEをしたいらしい。電話をしたいらしい。
それはやっぱり恋人ではないのか?
そもそも友達とも月一やり取りするかも怪しいのに、それを知っていながら希望を持ちすぎじゃないか?これでもM男からきていたLINEは真面目に返していたつもりだ。

何度目かの縁を切ろうと言われた。当然のように、はい、わかりましたと答えた。
本当にいいんだな?と念押しされた。いいですよと答えた。
……好きだ、と言われた。友人としてなら嫌いではありませんよと答えた。
付き合ってと言われた。無理です、それだけは何があってもありえませんね。死んでも好きになんかなりませんと答えた。

なら、あのときストーカーに払ったお金を返せと言われた。
一応弁解をするが、お金を払ってストーカーを追いやったときいたとき、私は散々お金を払うと言い続けた。それでも頑なに拒否し、その分仲良くしてとだけ言われていた。割と真面目にこれ脅迫だよな。

親という切り札がなくなったM男はお金という切り札を出してきた。なんとなくくる気はしていたが、本当、落ちるとこまできたなとぼんやり思った。

いいですよ、それで本当に縁を切ってくれるんですよね?と訊いた。
直後M男は泣いた。やだ、友達でいいから、お金なんていいから切らないでと必死に懇願された。うわぁーまさかの泣き落としだー。
もう口が引き攣りすぎてそれが平常になるくらいドン引きした。
手を握られ、え、キモッと普通に思った。
そのとき、父帰る。ぎょっとした顔で私を見た。当たり前だ、そこはアパートすぐ横の駐輪場だった。男女が二人なんか修羅場ってる現場、ごめん父。もう帰るからー!と気まずそうに中に入る父に呼びかける。地獄だった。私のほうが泣きたかった。

相手の泣き落としとさっさと終わらせたい衝動により、ここでも縁は切れなかった。




それからメンタルが豆腐よりも柔らかいM男は三日くらいで情緒不安定になった。三分LINEに返答しなかっただけでブチギレさ、深夜二時のLINE電話、人間否定、私のメンタルもわりとお釈迦になりかけていた。
えー👉👈だめー?🐷みたいなLINEがきたときは危うくキモさで風化しかけた。

先程あげた深夜二時の電話で、私はカウンセラーじゃないんですよとキレ気味に返したら烈火のごとくキレられ、お前は人間じゃない、人の気持ちを微塵も理解していない、人として欠落している、終わっていると言われた。三分LINEは確かその直前でのやり取りだ。
覚えてる理由はこれ聞いて泣いたので。よく覚えてる。結局これも相手の懇願により和解した。もう疲れていて会話を続ける気力がなかった。そのときひたすら言うのは『友達として』という単語だ。

けれどM男は友でなくやっぱり恋人ような要求をおこなった。
面倒なのでハハハと軽く受け流していた。料理は嫌い&苦手だったし、他人、ましてや年上や先輩として出会った人を名前で呼ぶようなキャラでもなかった。

それに恋人関係になれなくてもいいといいながら彼はふつうに抱きついてきた。バイトのバックスペースでメンタル回復と称して抱きついてきたときも虚空を見つめ、早く終わることを全力で願ったが、もはや虚空というか闇だった。振りほどけばいいのだろうけど、振りほどいたあとの面倒さと素直に従っといて穏便に終わらせるのとを天秤にかけた結果、振りほどくのを諦めた。気持ち悪さに体が震えたのは初めてだった。
勝手に下の名前呼びをし、エスカレートしていく要求を抑えもしないM男をみて、改名手続きと縁切り神社を真剣に調べていたのはよく覚えている。

そんな小競り合いが三日に一度はある中、転機が訪れる。
私はとあるイベントのため夜行バスを取っていた。楽しみで仕方なかった。M男とは恒例の死ぬ死ぬ詐欺の最中だった。その際にどうやらLINEを消したらしく当時のやり取りはSMSで行っていた。
そして鬱期を抜け出し機嫌を取り戻したM男は、今日夜行バスで出ることを知っており、仕切りにいつのに乗るの?と聞いてきた。準備で忙しいからと未読無視して、乗ったあとにすみませんー!見てませんでした!どうかされました?と聞くと、送ってあげようと思って!と返ってきた。バスの中で震え上がった。
こいつホント学習しねーな。

そんなこんなでイベント終了。イベント中は連絡を取らなかった。特に送る内容もなかったし。ほくほくな気分で帰ろうとするとメッセージが来ていた。

突然LINE(垢復活したらしい)で「もう死にます」ときた。どうやら仕事も上手く行かず荒れているらしい。前々から新人が上手く育成できない、すぐにやめてしまうとぼやいていたのを知っていた。
ただ私はそのまま実家に帰る予定でいたのでしばらく戻れませんというと、ふざけんな!すぐに金返して早く死なせろ!直接会ってだからな(要約)と言われた。振込だと死んだあとに警察に洗われるから嫌なんだと。

だがしばらくして、またもやここで悪いところを直すから、お前も直して。一緒にいたいときた。コロコロ変わる思考回路が理解できなくてもう帰りの新幹線は泣いた。
いよいよ、メンタルが死んできた私はもう無理だと。私が持たないと訴えた。そうすると生きるといった責任をとれと言われた。お前のせいで今まで生きる羽目になったと言われた。

そうなる気がしていたからあれだけ言葉を躊躇ったのに。このごにおよんでやっぱりこうくるのか。やっぱり生死を他人に投げ出すのか。どこぞの義○さんの気持ちだった。

今まで単語としては出してこなかったが、小競り合いやながーーい話し合いの中で毎回欠かさず話題にあったのが、死ぬか生きるかをお前(私)が選べという話だった。
因みになんで私が答えないといけないんですかときくと、生きる希望だからとか言われ、とにかく話が通じなかった。
死ねって言ったら貴方は死ぬんですかときくとそうだよとあっさりと答える。生きてと言ったら……知ってる、毎回地獄だ。それでも死ねって言う勇気はなかった。どんなにどうでもいい人間でも、いやどうでもいい人間だからこそ、私が決めることじゃないだろうと思うのが常だった。だから私が毎回諦めて生きてくださいと言う、そして和解。それがいつもの流れでお決まりのパターンだった。責任、責任責任。いつもなら内心怒り狂いながらも抑えてきた言葉も重みも、超えた。勇気が責任をすぽーんと軽く飛び越えていった。



『変わるからって言ってるけど一番変わってほしい部分はあの人が一番譲りたくないんだろうなというのがわかる。だから歩み寄れない』

そのときに私が一人で愚痴るだけの垢で呟いていた言葉だけど、まさしくこれが全てだった。私は恋情をなくしてほしい、抱きついたり、恋人のようなことをしないでほしい。死ぬなんて言わないでほしい、私に貴方の生死を委ねないでほしい。甘えてほしいという不可能なことは言わないでほしい。愛してるとか、吐きそうになるから言わないでほしい。
でもM男はいつか絶対に振り向かせる、好意を示してと訴える。俺を見てと強く願う。こんなの平行線だった。

すると彼は諦めた。生きてと言ってと送ってきたのに対して、私はもう責任をもてないからそういったことは言わないと送り返した。今までここだけは妥協し続けてきた私が初めて妥協しなかったのをみて、今度こそ無理だと感じたのだろう。

会いたくないだろと謎の配慮をもらい、私の自転車かごに指定の代金を置いてと言われた。私は指定どおりに置いて連絡した。一時間くらいして、周辺に人がいないのをみて恐る恐る自転車を見た。
自転車に入ったビニール袋、中に手紙と八万。
何これと思いながら手紙を開くと、

(要約)愛してたよ、ありがとう。八万は三十歳までの毎年の誕生日プレゼントだよ☆

オロロロロロロ……。
マジか。ドンびいた。ふつーにキモかった。
破って捨てようかと思ったけど金破いたら犯罪だからやめた。手紙は捨てた。

という感じで縁はパチンと切れていったのだった。まさしく金の切れ目が縁の切れ目だった(二回目)
因みに友達に聞いたが、M男はバイト先で普通に働いているらしい。死ぬ死ぬ詐欺とはまさに名のとおりである。もう絶対メンヘラに生きてって言わない。

自分語り

最後に私の話をしよう。私はほぼアロマンティックだ。アロマンティックとは?簡単にいうと、人を恋愛的に好きになれない体質?みたいなものである。じゃあほぼというのは何故なのか、生きてきて恋愛的な意味で人を好きになったことがないからだ。ただ恋するほどの人が現れなかっただけでは?と考えるのが普通だと思うが違う。何となく違うのはわかる。
高校で付き合った人もいた。趣味趣向ともにかなりウマが合う人で、その時一番仲が良い異性であったのは間違いない。私的にお試し感覚であったが、やっぱり恋ではないなとなった。サヨウナラ〜と別れて友達に戻った。
たぶん、ひどく冷めた人間なんだと思う。自分の考えは?ってよくM男に言われたけど、自分の考えが一番よくわからないし。問いて問いて、問い続けて飽きたのが高校の時。それ以来考えるのはやめた。考える気力も起きなかった。ただ揉め事は面倒だからとのらりくらりとしてた自分にもまぁ非はある。

その後、下がりに下がったキスのイメージをよくしたいとレズ風俗にいったりと中々はっちゃけた行動を取った。
そんなにイメージは回復しなかったけれど。あれのよさ、未だにあんまり分からない。

この話をどうして書くことにしたかというと、一番は風化させたくないからだ。正直に言ってしまうと趣味の小説とかのネタになるなぁとも考えている。消えないモヤモヤへの腹いせも若干ある。反面教師にしてほしいのもある。こんな形で自分のメンタルを壊すなんてあまりに可哀想だ。

私はこの件についてもそうだが、基本的に誰にも頼ろうとしなかった。怒り狂った発言はSNSでよくしていたけど、実際詳細は親にも友人にも言っていなかった。友人に言えたのも全てが終わった半年後くらいだったと思う。自分の恋愛とか、イザコザとか、なんか内側を知られるのが酷く恥に思えた。知られたくなかった。自分さえ我慢してれば何も問題ないのだからと常々思っていた。いや、未だに思っているの方が正しい。まぁ面倒な性格のせいで面倒な結果になったので、困っていることがあるのなら第三者を頼れと言いたい。変態には頼るな、調子にのる。
まぁ、私は未だに無理だが。


個人的に学んだメン○ラ(鬱)とパワ○ラ上司、ストーカー対処法として、

1. 嫌な人は相手にしない。
2. 極力興味がないといった姿勢を前面に出す。
3. 相手は頭がおかしいからそういうことを言うんだと思い、絶対に自分を卑下しない。
4. さっさと公共相談窓口に連絡する(相談相手が味方になるとは限らないので)。
5. 連絡手段を絶たせない(必ず何か連絡できる手段を残すようにする。またはさっさと遠方に引っ越しして物理的距離を取る)。ブロックだけはなしで。



人生観を変えたとまでは言わないし、男性恐怖症になって恐怖の毎日を送っているというわけでもない。それでも、やっぱり振り返ると、漫画のような、どこか非現実的で苦い経験をしてしまったんだなとは思う。できるならもうあんな日々はゴメンだ。

あ、年上の好意は死ぬほど苦手になったのでやっぱりトラウマほどではないが弊害はあるのかも。許さん。

というわけで以上、お粗末さまでした。